昭和52年09月27日 朝の御理解
御理解 第64節
「此方は参ってたずねる所がなかった。氏子はおかげを受けて遠路のところを参って来るが、信心して徳を受けて、身しのぎをするようになれ。」
どんなにこういう信心したらおかげを受けられる、こういう信心をすれば徳が受けられると、教えて下さる所と言う様なものが、そうザラにあるもんじゃありません。教祖様のご時代に思いもかけない人達が、ご神縁を頂いてお取次を願い、そして教祖様の教えをそのままに頂いて素直にそれを行じられて、教団の設立と言った様な時に、徳を受け力を受けられた、先生方がたくさん輩出された。そしていわゆるおかげを受けられた。教祖様のご時代にはそうだった。
その時分のご信者の中にでもご伝記なんかを見ますと、手みくじ位はすぐに頂きよったとこう言う。言うならばお徳を受けよった。それがこういう信心をすればという信心を教えて頂くと同時に、教祖様ご自身のご信心の姿というものに触れる。それを見て聞いて教えて頂くのですからやっぱりそうだっただろうとこう思います。所が段々金光様のご信心も100年も経って参りますとだったげなと言う様な話に成ってしまう訳です。
教えというて残っておっても、中々分かりません。あまりにも深くて広いから、中々分かりません。それでお道の信心が、段々こう目が粗うなってき、それこそお徳を受けて身しのぎが出来る様な人達が、もう本当に少なくなったと言う事です。そこで合楽がおかげを頂いてまいりまして、段々教祖様のたいへん広くて深いその御教えを、まあ場合には克明にほんとに、「はぁあこの御教えにはこういう深いご神意があったのか」と。
しかも私の信心を一遍通していうならば、私が一遍それを頂いてみて「これは間違いなしにおいしい」というて、皆さんに聞いて頂いておるのが、日々の御理解なんです。ですからここに参って言うならばおかげを頂くと言う事は、そういう身しのぎが出来る様な、お徳が受けられるようなお話を、皆さんは毎日いうならかんで含めるように、頂いておられるわけであります。
ですからそれを本当にあの行じなかったら、聞いただけじゃいうならば大した事はない。ただ知っとる覚えとるというだけではいけんのです。それをやはり身に付けていくためには、「先生はああ言いなさるけれども」と言わずに、それを本気で行じさしてもらうというところからです、身しのぎも出来ご神徳も受けていけれる、私は働きが起こってくると思うんです。
本当にそう言う所はザラにありませんですよ、それこそ竹内先生じゃないけれども、本当の事を教えて頂くならば、日本国中行脚してでも本当なものを知りたい、というもう求道心に駆られ、求道心に駆られた時代があられた。有名という有り難いという徳を受けられたという先生方を聞き伝えては、話も聞かれた教えも受けられた。ところが先生の心にピタッとくるものがそのなかった。
もう現代の金光教では、それを教えてくれる人はないと思われておる所へ、合楽の話を聞かれた。古賀先生が当時椛目に修行しておりました、その古賀先生のお母さんが、熊本ですから、当時熊本に勤めておられた先生に、こうして椛目にこう言う様な教会じゃないけれども、ま先生がおられると言う事です。そこでもうこれはもういつも不思議に不思議と、私は3回と思うとったけど4回だったそうですね、竹内先生の場合。4回当時の椛目に出て来たと。4回目にようやく会ったっち私と。
そしてあの3回目にお参りをされた時もおられなかった。ところが久保山先生が今朝からの御理解が、あの竹内つぁんというて、熊本から3回も参って来たげなけれども、私ととうとうお会いださなかったが、あの人の事をお願いしよったらこういう御理解を頂いた、御教えを頂いたというて、今朝の御理解が、今日はあなたの事の御理解でしたよ、というて話された。
それでその話を聞いてから、今度またびっくりして4回目に参られて、そしていうならば、今合楽で責任役人として、ああした御用を頂いておられるわけです。そん時に朝の御理解の中にね、今の教団はね今の教団はおかげが多いすぎる。いうなら水が多いすぎる。そして湿田になっておるのが、現代の金光教だという御理解じゃった。あまりにもおかげが多すぎてお水が多いすぎて、田んぼがねいうなら湿田になっとる。丁度ここが元湿田でしたよね。深田といいますか。
だから麦なんか勿論出来ません田んぼでしたけども、こんな高くやじもちをしましたから、もう穂がつかえてるわけですけれども。そこで今の教団にはどうでも、湿抜きをしなければならない。そういう私共にはいうなら一つの責任がある。こう言う事を教えて頂くと言う事は、やはりそれを私共がいうなら湿だん、湿田になっとおる所の教団に、湿抜きをしていく働きを現していかなきゃならない、というのが現在の合楽が、合楽理念を中に入って広めると言う事、そう言う事ではないでしょうかね。
もうたったその一言だけで、竹内先生がです、いうなら参ってたずねる所がでけたわけなんです。そこでならおかげを頂くという信心から、お徳を受けるいわば身しのぎが出来る、お徳が受けてと仰る、その身しのぎの出来る程しの信心を頂きたい。ならば今合楽で言われておる信心を、行の上に現してゆく、しかも本気でその気になれば、誰でもでけれる信心が、身しのぎもでけるようになる、お徳も受けられるようになる、信心だと言う事であります。
それにはまずね本気でね、それこそ「天地の開ける音を聞いて目を覚ませ」と言う事をね、今日私はあのおかげを頂こう、おかげを頂くという信心から、信心を頂かなきゃという心の切り替えのできた時に、でなからなければだめだと分かった時に、私は「天地の音を聞いて目を覚ませ」た時だと思うですね。「ははぁおかげを受けなならんけん、おかげを受けなならんけん」ちいって参っとる間はね、私のいうなら過去何十年間の信心と同じです。引き揚げて帰って参りまして初めて目が覚めた。
いうならば、「今までの信心ではいけなかった」と気がついた。そして本当の信心を求めようと、分かろうと言うところに、いわば開眼のおかげを頂いた。というのがあの私が北京から引き揚げて帰って来た、当時の事であると思います。今朝方私あのあすこのあのうあちらのほうを畳替えがあったり、家を洗ったりしておりますから、客殿に休ましてもらいよるんです。あの客殿に障子がやっぱ、障子を誰かがパチッーっとこう、あの閉めた音で目が覚めました。だから普通ならこう静かにこうやって開ける訳でしょ。
それをもうわざとのように、両方の障子をこう持ってパチッーっと、大きな音をさせた所で目が覚めた。そしたら丁度3時20分でした。いつも起こして頂く時間でした。だからそういう特別な、びっくりするような音を聞いて、目を覚ますと言う事よりもです、何かがねなら私共の様に、もうおは打ち枯らしてしまって、少しばかり作っておった、もうこれで大じょうぶと思うておった財産も全部振り捨てて、帰ってこなければならない様な羽目になって、初めて目が覚めたというのが私の信心です。
しかも次々と難儀な問題、弟の戦死と言った様な事が、もう帰ってからすぐでしたから、もう愈々今までの信心ではダメだったと言う事が分かった。何十年信心しておかげも頂いてきたけれども、それがもう水泡に帰してしまった。もう水の泡である。有り難い有り難い、勿体ない勿体ないと言うとったけども、こういう信心では今までのような信心ではダメだと気づかせて頂いて、もう翻然としてほんとに真の信心があるなら、真の信心を頂こうと言う事になったのがです。
丁度今日私が目が覚めた、いうなら大きな障子の音で目が覚めたというのと同じじゃないでしょうか。その本当の信心を身につけようと言う事になって来なければね、お話が耳に入らんです本当に。また行じようという気にもならないです。まシダゴダながらおかげを頂いておるという。そこでいうならば今までのおかげ信心というものを振り捨てて、真の信心へ一歩一歩近づかせて頂いて、今日もなおその真の信心を求め求めしておるのが、現在の合楽だとこう思うんです。
今日は一年そう20何ヵ所ありますから、約2年目ぐらいに回ってくる、合楽の筑水信徒会がございます。今度の信徒会は、ただ信者達の体験発表とか、又は信者同士で共励をするというのじゃなくて、とにかく合楽の先生の話を聞こうと言う事ですから、ご祈念が終わったらすぐ私の教話と言う事になってます。それでその教話をもとにして、班別懇談をしようと言う事になってます。ところが今どの部屋もこの部屋もいっぱい散らかしておりますでしょう。壁は落としたり(?)で洗ったりしよりますから。
それでまあちっと窮屈でしょけども、小さい部屋でも使うてもう皆で、12班か3班かまで位出来るんでしょう。あすこにもう書いてるものがでけとります。そうしてからもう一つ私たまがった事はね、合楽の人達がいうならその班の班長さんになってリードしていこうと、こういうのですからこりゃまあ、秋永先生の指図じゃろうと思うんですけども、昨日高橋さんと話した事でした。もう本当もうああいう失礼な事ばっかり。合楽宣伝するごたる、私ほんともうそげな事は好かんけれども。
というけれどもいうならば秋永先生が、もう止むに止まれん思いで、それこそ合楽の信心を中に入って広めようという精神が、そうも言わずにはおれなかったんではなかろうかと言う所で、ならやっぱりおかげ頂かにゃいかんねと言う事になったんです。それで今朝からそのことを、神様にお願いさして頂いておりましたら、頂きますことがね、いうならば今の教団が湿田になっておると言った様な意味のこと、なぜ助からないか、なぜあのおかげが頂けんようになってきたかと言う事をです。
この「親におんぶをしてはならない、子供にもおんぶしてはならない」と言う事を頂きますね。ここで他所の教会の先生方が、教会の立ち行きと言った様な事で参ってみえます。そして一番の悩みというものはです、もう親教会に束縛されてしまっておると言う事ですね。だから合楽の話を聞いて、一遍どうかしてお話も頂きたい、お参りもしたいと思うけれども、それこそそれが見つかるどもしたら大変な事だと言う様な。もう親教会がおぶし掛ってしまっておるから、もう身動きができないと。
そして何かというとその親のことを忘れるのか、道を間違えてはおらんのか。そしてさあ何かといや、その自分のことは振り捨てても、親教会に行かなきゃならないと言った様な、教えにがんじがらめになっておる、もう自由なものがない。そしてじゃそれが2代、3代、もううちの父当りは初代のおかげ助かって、教会を開かして頂いたんですから、それこそ初代の教会長、神様の恩を頂いてきたけども、2代になり3代になると、もう私どんが見とってもはがいいような先生であったりする場合はです。
どうしてこの先生ば、親先生というて言わんならんか。口だけなら言おうけれども、心から言われないという悩みが、大概ほとんどです。よその教会から参ってくる時には。そういう時になら流れ来たって、それを流れ来たったものを流れ去らせるというのが、いうなら教団のいうならシステムにならなきゃいけないのだけれども、それが反対である。流れて来たものは、もう自分の所で受けとめとる。そして向こうには流そうとしない。ここで例えばあの弟子が、沢山でけてきた。
末永先生がならブラジルに行くという、しかも直接ここでここから開くというのじゃない。勿論有名無実の教会ですけれども、信者一人おらん教会だけれども、やはり○○教会の出社です。この出社じゃないです。ただここの信心を持って行ったというだけのこと。だからここの信心を持って行って人が助かる、そりゃもうそれでいいと私は思うです。私がだから、そういうまあ生き方だったら、ああそげんとこには行くなと、なら山田先生がそうです。甘木関係の。
しかもここも有名無実の教会です。こげな馬鹿らしい話はなかっち、人間的に言うたら。けれどもそれこそ流れ来たったものは、もう流れ去らせるというのが、私の流儀でもあるし、またそれが本当だと私は思ってるからです。そして私はあの人達におんぶしようとは思いません。だから私もおんぶさせません。おんぶしておったらその自分が身動きができなくなりますもん。例えばなら末永先生のところから、あれがないこれがないと、それこそ悲しいまでの手紙が来ました。公子さんから。
それを見た時に私もちょっと人間心を覚えてから、これなら送ってやらにゃいくまいかと思ったけれども、どっこいこりゃ送ってやっちゃならんぞと思ったから、そげな事でおんぶされちゃならない。だから送ってやるなと。そんなら又こりゃああなら弟子もそうです。師匠におんぶすると言った様な事では出来ません。ただ親に掛り子に掛り、あいよかけよで立ち行くと言う様な事を、間違えるとそう言う事になって来るです。
親だから子だから、愈々その親教会に何かという時には、それこそ全身全霊打ち込んで、おかげを頂いてもいいじゃないかと。親だから。こりゃ私がなら親教会、三井教会に対しておるのがそれです。私は思います。もうほんとに三井教会に何かという時には、もうそれこそ、一人でもおかげ頂きたいと思います。そりゃ親だから子だからと。というてね、いつもかつもならおんぶしとくと言った様な事では、私が身動きとれません。私が親先生の言われる通りにしとったら、現在の合楽は生まれとらんです。
だからここはという時には、なら言う事聞かん事の方が、本当であるわけです。次に頂くことがね、繁雄さんがお茶をいれておられる前に、あのうポットのこうあれあんたかたから頂いたつじゃったかね、あのこう指し込みがあるでしょうが、お湯がこういつも沸いとると。あれをこうやって指し込めよんなさるmところを頂くとです。だからそれはどう言う事かというとね、それから神様のその事をお願いさして貰いよりましたら、あのたどんをこう起してね、たどんの上にこうヤカンをかけておる所を頂くんです。
はあぁそれですぐ分かった。皆さんも分かるでしょ。それこそあのたどんのお知らせっちゅうのはもう、苦労の真っ最中時です。色は黒うてもたどんのよりも(つゆに黒)、だから黒は苦労と言う事。それこそたどんのような修行をしござる。そしてそれに火をかけて、ぼんぼん燃えるごつ、その中からご飯もできりゃ、お茶も沸くわけですけれども、そういういうなら火の行、水の行と言った様な事で、湯が沸くと言う様なおかげでは、長続きせんということ。もうたどんが仕舞えたらそれぎりじゃん。
○○教会の先生もそりゃもう火の行、水の行をされて霊徳を受けられて、そして人がたくさん助かったというけれども、さあ次の2代目や3代目はそんな修行をしきらんけん、あとはぴしゃっと仕舞えてしまうようなもんですよ。ところが今までの過去の信心は、金光教の中にもあったけれども、そういう修行はもう出来るならするもんだと思うておったわけです。火の行水の行でもしてからでも、徳を受けたい力を受けたい、おかげを頂かにゃん時にはそれこそ断食してでも。
んなら合楽も3、4年前まではそういう修行を、私はしませんけれども、ここで修行しとる人達は断食位の事はもう、無期限断食と言う様な断食まで皆がしよった。もう水の行なんかっていうのはもうそれこそ熊谷さんの様なお年寄りでも、毎朝水行だけはしよんなさった。けれどもなら表行が全廃と言う事になって、そう言う事はもうしてはいけないと言う事になった。自分の身を削るような修行はいかん。神様が喜びなさらん。所謂「表行よりは心行をせよ」と言う事に徹底して、心行さして貰う様になった。
そして例えば夏の日のあの夕立雲のように、もうモリモリとしたその入道雲のようなものが出ます。いかにも力強いようですけども、何時間かするとスーッと消えてしまうというのが親の時には、ああいうごひれいを頂いておられたけども、息子さんになったらごひれいが落ちてしもうたという教会は、そういう表行でできたいうならば桜の花の信心です。梅の花の信心じゃなかったわけです。
そしていうならば心行一本、いうならば教えをいよいよ本気で行ずると言う事。心行と言う事は、本気で教えを行ずると言う事なんですよね。心行とはもう便所んトイレットペーパーばこうやって折る事と、心行とはタオルをきちっと、風呂に入ってこうする事んごと思うとる人があるですよ。けども心行しとれば、そうせずにはおられないと言う事なんです。だから教えをいつも行じていかなければ、心行心行しよらなければ、教えを行ずる事もできん。
行ずる事が出来ないのは、心行しとらんから、と言う事にもなるわけです。昨日は私あのずっと、最後の千代田さんの、北京時代の杜氏さんをしておられました。もう大変いい人でした。がずうっともう十何年目の具合が悪くて、病院から退院して来とったけれども、まあ何も出来んなりおられたのが、この23日のここの丁度所謂彼岸の中日、ここの霊祭の日に亡くなられました。
昨日朝あちらのおばあちゃんが参って来ましてから、もう綺麗にこうパーマどんかけちから、参って来なさりましたもん「今日はあんた御祝儀かなんかじゃあるめい」っち私が言うたら、「いいえ今日はあなた、主人の告別式でございます」ち言う「なんの」っち言うて、「いいえ23日の日に親先生にお届しましたが」っちこう言わっしゃるですもん。さあどっこい耳が遠かけん分かっとらんとです。聞こえとらんとですたい。
成程( ? )その「お国替え御礼」かなんかっち書いちゃんなら、すぐ分かるとたい。ただ霊祭だけにあの精進のあの熨斗袋に、ただ「御礼」と「千代田( ? )」と書いてあるもんですから、私がそのあの霊祭の御礼とばかり思うておった訳です。そしてお届けしちゃることは聞こえとらんわけたい。「そりゃほんとに済まんこつじゃった。そればってん、まあ告別式がどうして今日なったか知らんけども、今日参って来てもろうて良かった」というて、昨日は幹三郎と2人で、告別式に出ましたです。
私はもう本当初めてあげな告別式を、ま拝まして頂いたがもうそりゃ大したあれでした。そん代わりもうやっぱり葬儀屋さんの一番社長さんっちゅう人が見えてです、もうそれはそれは私はもう本当にある人が、あすこはあの泣き泣き儲けでいたちいう話があるが、そりゃもう泣きながらあの言いなさるです。あのずうっと司会をしなさるです。もうどうしてあげなふうに悲しい声が出るじゃろうかちいうごたるある(会場笑)。
もう最後ん挨拶をされる時にゃ、嗚咽が出らんばかりのようなね、勿論そりゃ他人のそげん、じいさんが死んだってそげん悲しい事はないですから、まあ演出でしょうけれどもね、やっぱついこっちも吊られて涙ん出るごとある感じがするですよ。けどもちょっとまたこう考えると、ほんに商売ちゃ言いながら泣きながら(骨ば儲けてた)っち、ほんなこつと思いました(会場初代「あっはっはっはっはっはっ」と大笑)(ほえん)。
ですからなんか後味はなんですけどもね。そしたら神様からあの菊の花の生花があっておった。菊の花のあの前は( ? )けどもその前の方に、こう根占めになっておる菊が前のほうに、こう出る様にしてあるです。そしたら今日私はおかげを頂いた事はね、この葬式にこういう言うならば菊の一輪を添えたようなね、御霊の喜びを受けたん、というお知らせを頂きました。はあ参ってよかったと私思いましたけどね。うん。
そんなわけでしたから、あのま文一層の紋付袴を着けて行きましたから、あの帰って参りますと、そすと一遍それを脱ぎ替えて裏にいつもなら下がるんですけれども。昨日の朝のみ教えを頂いておりましたから、もう直接ここへ座らせて頂きました。裏へ下がりますとね、もうやっぱりそこで一服とかね、あのまたそこへ誰か質問する人が出てくると、もうそこでお茶どん飲んだりしよると、ここがお粗末になりますから。
もう丁度一時間しか掛かりませんでしたから、もう2時からここへすぐ座らせて頂いたら、次々とやっぱ座っとらにゃん人達がお参りして来るんです。もうこげぇんに簡単な、ことをね、今まで疎かにしておったなあと思うてね、昨日研修ん時その事を話した事でした。お取次させて頂くなら、こげんとこの心がけが、やっぱいるごとあるね。そしてなら朝のみ教えというものが生き生きとして、やっぱそういう家業の、あの信心の中に現れてこなければいけないよと。
昨日は私も朝のご祈念のあの御理解です。無常の風は時を嫌うというがと、金光大神の道は無常の風に時を嫌わすと仰る。いうならば無常即有情だと言う様な御理解でしたよね。それの中からですほんとに教えを、例えば行ずると言う事は、絶えず自分の心ん中にかけて居らなければ、迂闊にしてそんな迂闊にして、そこからおかげが漏る様な事にもなりかねないのですから。おかげを頂かなきゃなりません。
私共が例えば今日の研修会というですか、筑水の連合会の信心共励会ですけれども、それに例えば、今炭団でいうならばお湯を沸かしておる、おったようなのが過去金光教の信心で、それのいうならば流れを汲んで、そして師匠の時代のように、炭団のごたる苦労も修行もしきらずに、んなら灯油にに火を燃やしもきらんで、ぐずぐずしておるという教会が、実はほとんどじゃなかろうかと。
だからこれは今日の皆に、いうならば聞いてもらわなければならない話である。そしていうならば天地といつも交流しとる。電気といわゆる繁雄さんが、こうお湯をポッ差し込みにさされるのは、もう天地と繋がっとるですから、もういつうもスイッチを入れさえすればです、電流というものは通うてくるほどしの、そういう信心でなからなければ、これからの信心はいけないと言う事なですん。
ただ炭団のごたる苦労をしたから、修行をしたから熱をかけたから、ままになったと言う様な信心は、もう金光教からいわば、もう抹殺していかなきゃいけない。そしてなら天地と交流するような信心とは、果してどういう信心しなければ、天地と交流しないか。ここになら合楽理念をもってする外はないという、天地との交流が始まった時に、初めて生き生きとした、そんな炭団のごたる苦労をせんでも、いうなら実にすんなりと、お湯が沸きご飯が出来る。
ままになるというおかげになってくる、そういう話をね、皆さんはここで頂いておられるわけです。「此方は参ってたずねる所がなかった」。多くの金光教の信者さん方は今は、参って尋ねる所がない、本当の事を教える事がない。真の信心というても、その真の信心と言う事が、非常にあいまいである。そのあいまいな信心を真の信心とはかくだと説いておるのが、今の合楽理念である。
しかも手がかりがあり、足がかりが付けられるのが合楽理念である。そういう話をね、ならここへ参って来ると聞く事が出来る。また分からんなら尋ねる事が出来る。ですから、どうでも身しのぎのできるような、信心の徳を受けられる信心を頂かなければ、なら合楽があっても、ないのと同じ事になるのです。ですから参って尋ねる所があるのですから、本気で一つ今天地の開ける音を聞いて目を覚まさせてもらう。
いうならばおかげ信心から、信心を頂くという信心に切り替えさせて頂く。そこんところが開眼眼を開かなければ、「もうそりゃそう」っとこう思うとるだけではなかなかです。自分自身がやっぱり、信心をほんとに信心の開眼と言う事がなされて、初めて身しのぎも出来る様になりゃ、身に徳を受ける事も出来ると言う事になります。
どうぞ。